長い目で見れば設置費用の元を回収出来るブログ:2015年10月08日
もう、ずいぶん遠い昔の話…
上のむすめが小学校に入学して間もなく、
「どんな人になりたいか?」という宿題を持って帰った。
「どんな人かなぁ〜」と考えあぐねた末、
あたくしに助けを求めて来た。
「人の心の痛みのわかる人間になって欲しい」と言ったところ、
すかさず下のむすめが、
「こころって何、どこが痛いの?」と聞いてくる。
すると
「こころってな、胸、ここ、ここで…」と
七才のお姉ちゃんは三才のいもうとの小さな手を取り、教えていた。
あたくしはなんと説明していいか、戸惑ってしまった。
あれから二十数年、
二人のむすめはそれぞれの道を歩んで成長した。
下のむすめは、文学に興味を示した。
小さい頃からよく本を読んだ。
感動した本に出会うと、瞳を輝かせたりウルウルさせたりで、
心の起伏を素直に表わした。
そのうち、楽しいにつけ悲しいにつけ文を書く事を覚えた。
それは家族一人一人に宛てた誕生日のメッセージであったり、
先生や友人、離れて住む祖父母のもとにもよく手紙を書いた。
下のむすめは六年生になったばかりの春、
2年間闘病を続けた祖父の死に直面した。
父親の最後の病室からでて来た手紙の束…
あの剛健で頑固な父親からは想像もつかない様な、
涙の後が点々と残された手紙…
そこには
「病気に負けないで」とか
「頑張って」といった文字は無い。
「今日の給食はひじきご飯だったよ」とか
「もうすぐ修学旅行に長崎に行くよ」とか、
たわいのない日常が綴られていた。
むすめは手紙という一つの手段で、
死を直近に控えて眠れぬ24時を過ごしたであろう祖父を、
励まし力づけ心の支えになっていた事を初めて知った。
むすめの書いた手紙にほんの一時でも、
痛みを忘れた24時があったかと思うと
あたくしは心が救われる思いがした。