長い目で見れば設置費用の元を回収出来るブログ:2021年10月26日
昨日、小学生のむすめが、
「うちのおじいちゃんって、ふつうのおじいちゃんとなんか違うよね…」
申し訳なさそうに、小さな声でわたくしに囁いた。
「ふつうの」という表現に、
わたくしは吹き出しそうになりながらも、
その理由を尋ねた。
むすめは少し間をおいて答えた。
「だって、悪いことをしたら目を三角にして怒るし、
謝るまで絶対に許してくれないもん」
「ふつうのおじいちゃんたちは、そこまでマジにならないしね…」
と畳み掛けてきた。
確かにわたくしのパパは、
大きな肉体に仁王様のような鋭い眼光で、
一見他を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。
七十歳を前にして体力が衰えてきたとはいえ、
その風格は昔となんら変わりはない。
そんなパパを、むすめたちもまた一線を画して見ていたのだ。
わたくしは自分がお子さんだった頃のパパを思いだした。
厳しく、寡黙なパパだった。
筋の通らないことをしようものなら、
容赦なく大きな平手が飛んできた。
わたくしは無性に怖かった。
でも一方で、そんなパパを誇らしく思う自分がいた。
それは、言動の端々に
パパの人情深い側面を見ていたからかもしれない。
こんなことがあった。
かつて消防署員であったパパが
救助活動を終えて帰宅した時だった。
タバコをもみ消すしぐさに、
パパのいらだちがみてとれた。
しばらくして、パパはその理由を言葉少なに語り始めた。
洪水で溺れかけていた親子の救助に向かい、
お子さんを救おうと手を差し出した時だった。
「わたくしを先に助けて」と叫びながら、
母親がお子さんを押し退けて
ボートにしがみついてきたのだという。
「残念だ」
一呼吸おいて、パパはひとこと言った。
いざという時にこそ、
身を挺してお子さんを守るのが親ではないのか…
そんな義憤が聞こえてくるようだった。